コロナ禍と生活と人生と生命 

こういう記事を読んだ。


もう20年来、私自身が考え書いてきたことと近い。

文春新書の『カルトか宗教か』でも健康カルトについて書いたし、ベスト新書の『陰謀論に騙されるな !』でも健康にまつわる終末論について書いた。その後、「高齢者」と呼ばれる年齢に突入し、同世代や少し上の人々に健康上のいろいろな支障が出てきた。亡くなった人もいるし、認知症やら視力、聴力、脚力などの衰えによって、以前のような付き合いができなくなってしまった人も少なくない。

事故や災害のことは考えないようにしていても、「衰え」は誰にも訪れるし、「死に至る病」も誰にも訪れる。
そして「健康」主義に洗脳された人にとっては、「健康」から脱落した人は明らかに「負け組」となる。

こういうメンタリティが定着しつつある時代に、「コロナ禍」が倒錯的な「新しい生活様式」を標準化しようとしている。
考えてみれば恐ろしいことだ。

この方は、ご自分としては、

>>「生活を変えたくないから」という理由だけで、こと新型コロナウイルスに関してはほとんど無制限に、リスクを許容するに足りると考えている。<<

と言いきっている。ある種の人から見ると驚きの言葉だろう。

私は最初から、「生きる」ことは「死なないこと」ではなくて「よく生きることだ」、と言ってきた。

今回の「コロナ禍」だけではなく、私自身や私に近い人たちの「病気」やら「不具合」がいろいろあっても、これまで、主治医を説得したことがあっても、医師に言われた標準治療の類をそのまま受け入れたことはない。医師が私のやり方を受け入れないときは医師を変える。
私にとっての生活の質というものが何かを一番知っているのは自分だからだ。

このブログを始めたきっかけは両肩拘縮という不便と痛みの症状だったけれど、いわゆる「命」に別状ないけれど「生活」の質は大幅に落ちる出来事だった。ある意味で、「健康」と「医療」のはざまにある微妙な状態だったので、いろいろなことを試したり「健康哲学」「治療哲学」みたいなことを考えたりしてこれた。

これも前に書いたけれど、フランス語でVIE、英語でLIFEというあの言葉が、日本語では「生命」「生活」「人生」とざっと3種類に分けられることが、コロナ禍対策のような局面で多くの誤解を生む理由の一つだと思う。

この方の著書『「健康」から生活をまもる 最新医学と12の迷信』、読んでみたい。


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