フランス・コロナで「欧米」と日本を考える。

4/10。 ネットでコロナ関係の情報を見るのは不毛だからもうそろそろやめようと思っているのに、フランスに住んでいる日本人としては、両国の感染状況や人々の反応や政府の対応などを比べずにはいられない。数字自体はもう一喜一憂するものではなくなった。「今日はどの国が死者数でどの国を抜いて上位に」、などと「菌メダル」争いと揶揄されるような言い回しの情報があるのにもうんざりする。

もちろん、フランスにいる日本人としては、日本の感染者数や死者数が「欧米」に比べて突出して少ないことの理由はとても気になる。BCGがどうだとか、「家の中で土足で手洗いの習慣もない欧米」などと言われても、フランスは2006年まではBCGが必須だったし、少なくとも私がうちに招かれるフランス人宅は、スリッパをくれるし、みんなすごく清潔だし、石鹸での手洗いも徹底していた。握手はするけれど、ハグやチークキスをする人はとても限られているし、風邪をひいていたら即「自粛」する。肥満もアメリカなどと比べるととても少ない。

ほんとうにアジア人は重症率が少ないのなら、イタリアやフランス国内の死者のアジア人の内訳が欲しい。
流行初期の感染者は「中国から来た中国人」でパリの最初の死者もその人だった。日本でも最初のうちは死者何人、うち外国籍の人が何人、などと書いてあるのもあったけれど内訳はよく分からない。

フランスや外国で何百人単位で死者が出るようなテロや事故があると、必ずその中に「日本人がいたかどうか」が発表されるのに、これだけの死者が出ていても、イタリアやフランスの死者のうちに果たして日本人がいるのか、中国人の割合はどのくらいなのか、などはまったく発表されない。

フランスはもともと人種別統計が禁止されている国だけれど、さすがにアメリカは、感染者や死者が黒人やヒスパニックが多いと発表している。これは遺伝子的要素というより、貧困度やそれに伴う衛生面や医療面のハンディが要因なのだろう。
ブラジルのスラム街の住民やアマゾンの先住民の感染も問題になっているけれど、ある意味で「免疫力」って何だろうな、と思う。

もともと過酷な環境や、疫病発生率の多いところで上下水道もないような場所で密集して住んでいる人たちがいるとして、そこで今生き残っている人たちはすでに「免疫強者」のような気がするからだ。アメリカに「売られて」きた黒人奴隷はもともと丈夫で健康そうな者が選ばれ、過酷な航海や、アメリカでの奴隷労働などに生き残った者が、「解放奴隷」となった。
今だって、抗菌グッズに囲まれて暮らしているような人よりも、路上でサバイバルしてきた人の方が、生命力も強く、免疫力も高いのではないかとも思う。

でも、そんな単純なものではないだろう。

確かに人生でも、似たようなことは言われる。

「何一つ不自由しないで甘やかされてきた人は、思いがけない苦難に遭遇するとあえなくつぶされてしまう」というやつだ。一方、「幼い時にいじめとか病気とか虐待とか貧困とかをくぐり抜け克服してきた人は、困難を前にしても耐性があり、戦う力がある」。「打たれ強い」というやつだ。これは「免疫力」につながる。

そうではない場合もある。

「何一つ苦労を知らず、愛されてきた人」にこそ「戦う余力がある」こともあるからだ。
人生で疲弊していないから、いざという時にはさあ、いよいよがんばるべき時が来た、と覚悟が決まる。
病についていえば、普段から健康で免疫システムなどが理想的なバランスで動いている人なら、いざ病原菌やウィルスが侵入しても、対応できるというケースだ。

もう一つ、彼我の感染病対策の違いに多少なりとも関係しているのではないかと思うのは、日本語では「人生」、「生活」、「生命」と三種が使い分けられる言葉が、英語ではみなLIFEだしフランス語ではVIEと一つであることだ。

経済より命、まず命を救うことが第一だ、という時に、例えば今ここで、目の前にいる重症患者を何としてでも救おうとするのか、感染症対策として「多数者の生活」を維持するための最適解として「命」の優先順位が決められるのか。

この局面はどの国にとってもジレンマだろうけれど、「人生、生活、生命」と使い分けられる場合、微妙にこぼれおちていくものがある。

その対極にある「死」は一つなのに。

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