年をとっても忘れないこと

私のように外国に長く暮らして多分外国で死ぬだろうという日本人が時々「老後」のことで心配し合う話題のひとつに、

「年を取ったらフランス語を忘れるのではないか」

というのがあった。

よく、認知症になったら、子供の頃のことは何でも覚えているけれど、大人になってからの記憶があいまいになったり消えたりする、だから、大人になってから習得した外国語は使えなくなるのではないか、と言うのだ。

私は自分の感覚としては、私がフランス語を分からなくなる時は、日本語も分からなくなる時だ、と思っていた。

でも、長くフランスにいる何とかさんが、年とってフランス語がおぼつかなくなってきた、などという話を耳にしたり、
もう20年以上前になるが、フランスで亡くなった日本人の知人が、病気が重くなるにつれて、もうフランス語が分からないし、分かる努力もしたくない、日本語でだけ話したい、といって何度も私が助けてあげたことを思い出したりすると、

なんだか不安にもなる。

そしたら最近、とても安心させてくれる本(もちろんフランス語の本だが)に出あった。

著者はもう80代半ばの著名な古代ローマ史の学者なのだけれど、昔はプロティノスの『エデアネス』を老後に読むと決めていたのだけれど、本の内容も、プロティノスのギリシャ語も自分には難しすぎるのであきらめて、生涯に5回目となる『神曲』を(もちろんイタリア語で)読み返している、と言う。

このリアリズムには目が開かされる思いだった。

私も今は時間がないけれど、いつか読みたいという本がたくさんあって、その中には、昔は多少読めていたギリシャ語やペルシャ語であれとこれとを読みたい、というのもあるのだ。

でも、現実的に考えたら、とても無理だ。難しすぎる。

無意識にそれを認めたくないと思っていた気がするが、この人の言葉で、

そうだ、無理しないであきらめて、読めそうなものだけ読めばいいんだ、

と何だか気が軽くなった。

で、この偉大な学者は、もう古代ローマ史についても研究しないと言う。
なぜなら、記憶があやふやになってきたから。

クロスワード・パズルを解いていて、「キリスト教徒を迫害したローマ皇帝の名」の4文字を前にして、

「ああ、紀元250年の皇帝だなあ」とは思ったけれど名前が出てこなかったというのだ。
(答えはデキウス。フランス語ではDECEとなる)

固有名詞を度忘れすることなど私にも昔からよくあるけれど、まあ、古代ローマ史の碩学にとってローマ皇帝の名前が思い出せないのはショックだったのだろう。

でも、この人は、イタリア語もラテン語も、他の多くの言葉も今でも自由に読み書きできる。

そのことを彼は

「自転車に乗れることと同じで、言葉は記憶の問題ではなく習慣の問題だから忘れることはない」

と言うのだ。

つまり、私も「フランス語を使うという習慣」を忘れることはない、 ということだ。

年とってフランス語を忘れたとか、病を得てフランス語が分からなくなった、という人たちは、ひょっとして、フランス語の読み書きなどが「習慣」として根付いたものではなかったのかもしれない。

普段の生活や思考が日本語だけで、フランス語の読み書きなども、日本語の変換というか日本語脳を経由したものだったのかもしれない。つまり、フランス語は「知識」の記憶だったのかもしれない。

それに、認知症の人だって、「子供の時」の記憶だけではなく、若い頃の記憶も覚えていることは稀ではない。
大人になってから覚えたことがすべて欠落するということではないだろう。

私はもう40年以上もフランス語で生活していて、フランス語で思考することやフランス語で夢を見ることの方が多いくらいだし、日本に行っても、人とぶつかったりして反射的に口を突いて出るのは「パルドン」であって「すみません」ではない。「すみません」に代わるためにはひと月以上日本にいないとだめだ。そして一度「すみません」モードになると、今度はフランスに帰ってきてからもひと月くらいは「すみません」と発し続けることになる。

無意識レベルの「習慣」もバイリンガル仕様になっているということだから、これで、

年をとったら、フランス語を話せなくなる、という「年」神話からは解放された。

(子供の頃に暗譜していたピアノ曲なんかすでにごっそりと記憶が消えている。20歳までに暗譜したものは一生忘れないという記事をどこかで読んで必死になって昔10曲以上もせっかく暗譜したギター曲もほぼ忘れた、などという現実はまた別の話だ)


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この記事へのコメント

古川利明
2017年05月19日 01:46
どうも、ご無沙汰してます。その後、お元気でやっておられますか。フランスも大統領選挙で大変でしたね。こちらの方でない、メインの方のブログに投稿しようと思ったのですが、投稿欄がないので、こちらで失礼させて頂きます。竹下さんのブログ、非常に興味深く読ませてもらっております。やはり、現地滞在が長いので、通りいっぺんではない情報を出していると思っています。その意味で、とても参考になります。それで「マクロンにメロメロ」のくだりですが、でも、これまでの竹下さんの「マクロン評」を読んでて、それは感じますよ。少なくとも、「悪意」はないですよね。個人的な好き嫌いは、別にあっていいと思いますが。私はサルコジの政治スタンスは徹底的に叩いていますが、個人的には全然、好きです。あの過剰さは面白いです。なかなか、いないと思います。
sally
2017年05月19日 07:21
ええと、ここでは何ですので、サイトの掲示板にお返事書きました。
http://8925.teacup.com/babarder/bbs
をご覧ください。

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