心身の病と生きる力  パウル・ヴィトゲンシュタイン

毎月一回更新しようとしていたのに、自宅のネット環境に問題ができて間が空いてしまった。4月が終わる前にひとこと。

最近、フランスのゲームソフト会社でバグを調整する技術者だった33歳の若者が自死した。

友人の一人に自分で人生を終わりにすることを決めたことをメールで伝えてからヘリウムガスを吸って死んだ。

ヘリウムだと自然に意識が遠のいて苦しくないのだそうだ。

友人が救急車に連絡したがもう遅かった。

彼は独身の一人住まい、父親がトーゴ出身、母はブルターニュ出身のフランス人で、兄と弟がいて、かわいがっていた弟にあてて遺言で財産を譲ったという。

自殺なのでいろいろな手続きがあり、埋葬は二週間後になったので、ほとんどが同じ年頃の同僚たちのショックは癒えず、会社には心理セラピストが招かれて一人一人と話し合ったそうだ。

自死した青年は、心臓に持病をかかえていたそうだが、普通に仕事して何不自由なく暮らしていた。最後の日まで普通に陽気にふるまっていたという。

直接知っていたわけではないが、彼の周りの人々の動揺を見てその方が印象的だった。

皆若くて好きな分野の仕事をして、人生を謳歌しているように見えていたのに、仲間がこれという前兆も見せず誰にも相談せず突然この世からリタイアしてしまったのを知った時、一種「取り残された」かのような心もとなさに襲われたようだ。

戦争や飢饉がある国ではない。

1月初めにテロリストが立てこもったユダヤの食品スーパーの近くにある会社で当時の突撃の銃声などをみな聞いていたが、それは不安や恐怖を引き起こさなかった。近所であったが「別の世界のできごと」でもあったのだ。

それなのに、

病気や事故や災害や犯罪でなくてもこの世から仲間が突然消滅することがある、

という現実に直面した時、みな、自分たちの中にも封印されたその要素があるかもしれない、と「身に覚え」を感じたのだ。

それは外部から襲ってくる敵ではないからよけいに恐ろしい。

二週間後の雨の日、同僚たちは全員がペール・ラシェーズ墓地での追悼セレモニーに参列し、打ちひしがれた家族の姿を目にすることになった。

原因の明らかでない自死というのはきわめて個人的な行為のように見えるが、かなり強烈に周りの人の心身をかき乱す。竜巻のように引き込む力を持っている。

私は最近左手のためのピアノ全曲演奏(Maxime Zecchini)がリリースされたパウル・ヴィトゲンシュタインのことを思った。

この人の「強さ」は尋常ではなかったからだ。

彼には4人の兄弟(姉も3人いる)がいて、年の離れた兄3人が次々と自殺している。男で生き残ったのはパウルと2歳年下のルートヴィヒだけだ。

家族はウィーン有数の大資産家で、インテリのエリートで、芸術家のパトロンだった。

パウルが1887年にウィーンで生まれた実家には7台のグランドピアノがあり、プライヴェート・コンサートホールではマーラー、ブラームスなどが演奏し、パウルはリヒャルト・シュトラウスと連弾を楽しんだりした(母もピアニスト)。

ハイネなど文学者も出入りし、画家クリムトも姉の肖像を残している。

そんな恵まれた環境にありながら、兄たち3人が自死したというのは、生きる意欲が金や力とは別のところにあることを思わせる。

一代で富を築いた父は改宗ユダヤ人を先祖に持つプロテスタントで、社会的にだけでなく家庭内でも独善的に強権を行使していたというから、息子たちは心理的に父親につぶされていたのかもしれない。

長男と三男が同性愛者であることは、父にとって考えられないことだったろう。

長男は1902年、アメリカに渡り湖で投身自殺したとされる。

三男は1904年にベルリンのバーで、ヒ素を縫ったグラスに注いだミルクを飲んで自死した。

長男と三男に先立たれたことは、この全能の父にとっても大きな傷となったのは自明だろう。

母がやはり改宗ユダヤ系カトリックであったのでカトリックの洗礼を受けている末子のルートヴィヒも自分の同性愛について罪悪感を抱き、自殺願望を持っていたことが知られている。

兄2人が自ら命を絶った時は、パウルとルートヴィヒは10代半ばの多感な時期だったから、トラウマになったのは間違いない。

父は1913年、パウルが25歳、ルートヴィヒが23歳の時に亡くなった。

長男と三男の自死の年と同じだ。

子供たちは莫大な遺産を相続することになるが、すでにイギリスにいた24歳のルートヴィヒは、一部をリルケなど文学者に贈与し、後は相続放棄した(貧乏人に金をやると堕落するので害のない金持ちに譲るのだと言っている。ピアニストの道を歩んでいたパウルの相続分は膨大なものとなった)。

しかし、翌年、第一次大戦が勃発し、招集されて出征したパウルは8月にポーランドで右ひじを負傷し、ロシア軍の捕虜となり、2日後に右腕を切断された。

運命の大きな歯車にからみとられて、ウィーンでの優雅な生活から一転、苛酷な情況、しかも右腕を失うという取り返しのつかない状況に突き落とされたわけだ。

兄たちの自殺から受けたトラウマから想像すると、ここで絶望して命を絶ったとしても不思議ではなかったかもしれない。

どんなに金があっても右腕を取り戻すことはできないのだ。

しかも、極寒のシベリアに送られた。気力を失うだけで凍死や衰弱死してもおかしくない。

ところがパウルは、収容所で、木箱の上で凍えた左手を動かし、暗譜しているショパンのピアノ曲のメロディと伴奏を片手で同時に弾く工夫に没頭した。

ぺダリングのテクニックと素早い手の移動で、両手演奏と同じ効果を出せるという結論に達し、1915年のクリスマスに赤十字によってウィーンに帰還したころには、もう左手だけでピアノを続ける決意を固めていた。

戦争にさえ、参謀士官として復帰して1918年まで務めた。

兄のうちの生き残りだった次男は戦場で自分の頭に銃弾を撃ち込んで自殺した。

その後、パウルは、豊富な財産を使って、ラヴェル、ヒンデミット、プロコフィエフ、ブリテン、リヒャルト・シュトラウスラ当代の名作曲家たちに「左手のための」ソナタやコンチェルトを次々に注文する。

曲は「買い取り」だから、趣味に合わないとどんどん「お倉入り」になり、40曲くらいが実際に演奏された(最近弾かれたことのない曲も含めた全曲がリリースされたわけである)。

ヒンデミットには「とても弾けたものでない」と言い、

ブリテンとシュトラウスのコンチェルトには「オーケストレーション過剰なので弾かない」、

プロコフィエフには「ただの一音も理解できない」と言い、

ラヴェルのコンチェルトを好きなように改竄して弾き、軋轢を生んだことも有名だ。

その後、第二次大戦でナチスが台頭(ルートヴィヒは高校でヒトラーと同窓だった)すると、金で「非ユダヤ」証明を買っていたのに、家系の「ユダヤ」ルーツが問題にされて公開演奏を禁じられ、1938年にアメリカに渡って、翌年キューバで28歳年下のピアノの生徒と結婚し、アメリカで73歳まで生きた。

姉の一人はアメリカ人と結婚していた。

アメリカは彼らの父が18歳の時に立身出世を夢見てヴァイオリン一つを手に渡った国でもある。

『論理哲学論考』で20世紀哲学に大きな足跡を残す弟ルートヴィヒは1939年にイギリス国籍を取得して62歳まで生きた。

パウルは、弟の死後もヴィトゲンシュタイン兄弟唯一の生き残りとして10年以上生きた。

彼には息子が一人いる。

自分と弟の名をあわせ持つ1941年生まれのパウル=ルートヴィヒだ。

この人はパウルの故郷であるウィーンに渡り、父から受け継いだ遺産を、世界中のオペラの追いかけやアルコールに費やし、最後はウィーンの精神病棟にいたという。

同じ病院で知り合った作家トマス・ベルンハルト(彼は肺疾患の病棟にいた)によって、『ラモーの甥』に因んだ『ヴィトゲンシュタインの甥』(日本語にも訳されている)という本の登場人物となったのだ。

テーマは「死・狂気・病気・破滅」である。

そこでのパウル=ルートヴィヒは左手のピアニストであった父パウルの息子ではなく偉大な哲学者であった叔父ルートヴィヒの甥だ。(ルートヴィヒが音楽愛好家であったことはよく知られている。)

パウル=ルートヴィヒがまだ生きていれば父の享年と同じ年だ。

享楽の追及も自滅願望にどこかつながっている。

実際、彼は、社会的にすべてを失った。彼を以てヴィトゲンシュタイン一家が途絶えたのかどうかは知らない。

生きる意欲、命をつなげる意欲、生活を絶えず刷新する意欲、病気、死、障害、そして哲学と音楽。

パウルの生命力を支えたのは何だったのだろう。

身近に若い男や働き盛りの男の自死があるたびに、ヴィトゲンシュタインの男たちのエピソードを思い出してしまう。

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この記事へのコメント

りんご
2017年06月28日 20:11
こんにちは。突然のコメント失礼致します。こちらに記載されているパウル・ウィトゲンシュタインの情報はどこで得られたものですか?本や文献などあれば読んでみたいと思っています。
よろしければ教えて頂けると幸いです。
よろしくお願い致します。
sally
2017年06月29日 02:39
りんごさん

このブログに来てくださってありがとうございます。
P.ウィトゲンシュタインについては、前から知っていましたが、Maxime Zecchini というフランスのピアニストがラベルの左手用のピアノ曲のCDをいろいろ出してからまた考えるようになっていたのです。

ブログのこの記事を書くに当たっては、事実関係をネットで検索して芋づる式にたどっていったのだと記憶しています。

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Paul Wittgenstein

で検索したフランス語のページです。
英語でも多分いくらでも出てくると思うので同じような情報は得られると思います。
もし「これこれについての情報をもっと詳しく知りたい」ということであれば、私がさらに検索することもできます。

下のサイトで演奏を聴くこともできます。

https://www.francemusique.fr/culture-musicale/la-main-gauche-au-piano-un-defi-pour-le-compositeur-et-l-interprete-33690

ほんとにこの人の生涯って印象的ですね。
戦争も経験せず、祖国を捨てる必要もなく、一応五体満足な自分にとっての演奏と人生のモチヴェーションって何なんだろうと自問してしまいます。

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