久保田亮さんが亡くなったこと

久保田亮さんが亡くなっていたことをえいりあんさんからのコメントで知りました。

知り合いを通じた関係でお名前と病気の話は存じていましたが、このようなブログを残されて最後まで講演活動をなさっていたことなど、知りませんでした。

精神科医でCBT(認知行動療法)の実践家が緩和ケアに入ってからさえも観察と記録を続けていたことの証言価値は大きいと思います。

全部は読んでませんが、最後の方を拝見すると、最もショックだったのは写真です。

これまでもなくなる数日前や数週間前までブログを続けていた方の記録は拝見したことはありますが、こんなに最後まで写真をアップするのを見たのははじめてです。

私は自分がなってみないと実際どう行動するかできるかもちろん分かりませんが、頭がはっきりしている限り、心身の状態を最後まで言語化して、病と死の前での人間の生き方というcorpusの充実に寄与したいという気持ちは大いにありますが、写真は絶対に残したくない。

それは自己イメージがどうとかという問題ではなく、単に私が他人のそんな姿も見たくないからです。

久保田さんは多分50歳くらいでまだお若いので、それでも、まだ直視できますが、たとえば後期高齢者の範疇に入る年齢以降の闘病で、生命体が崩れていくどなたかの姿は見たくありません。

彼はマジックショーもするパフォーマーで、最後に講演された映像では病気と思えないほどのお元気ぶりでした。舌癌や咽頭癌でなくてよかったなあと思います。舞台が好きな人は人に見られるのが好きなのですから。それだけに、最後の緩和ケアでの闘病シーンは個人的には見たくない。

最近私のクラシックバレーの先生が、妊娠したことを告げ、これから太っていくであろうこと、跳躍の見本はだんだん見せなくなるだろうことを告げました。それでも4月まではレッスンを受け持つと。

もちろんみな祝福しましたが、私は裏切られたような気がしました。

子供の頃にも一人、バレーの先生が妊娠してお休みし、バロック・バレーを始めた頃にも先生のセシリアが途中で妊娠しました。

これが楽器の先生なら別です。楽器演奏のスキルに支障がないならなおさらですし、多少演奏者としては無理が出ても、生徒に教える曲が完璧に弾けて的確な指導ができれば問題はありません。

でも、バレーの先生って、外見そのものと切り離せません。

あ、もちろん、最初から自分はあまり飛んだり跳ねたりしない先生で、現役を引退してある程度の年輩で、すでに中年体型になっているバレーの先生でも、指導者として優れている人はもちろんいます。

それは最初からわかっているからノープロブレムです。

けれど、途中で妊娠するような先生は、当然、まだ若く、現役感あふれる人ですから、外見がプロでなくてはならない。

プロポーションも含めて「先生」をしているので、生徒がうまく踊りたいということと先生の体に憧れることは切り離せられない。

で、私はいつも裏切られ感というか一種の失望を感じるのです。

妊娠というおめでたい話と、癌の末期で腹水が溜まっていく姿を重ねるのはとんでもないことで、自分のそういう反応自体を抑圧していましたが、体の線がその人の「当社比」で崩れていくのを見るのはなんだかつらいのです。

それは老いにる崩壊も同じなのかもしれません。

私も20年後にまだ生きていたとしたら、頭はまだはっきりしていてものを書く姿は想像できるのですが、レオタードをつけて踊っている姿は思い浮かべられません。今だって十分変だよ、とつっこまれるかもしれませんが、私は目が悪いのでスタジオの鏡に映る顔かたちの細かいところは見えないので、体だけだと20代も含む他の素人集団に対して今は違和感は感じません。

もちろん気力と努力があれば、80歳でエベレスト登頂なんていう人もいるのですから、80歳即崩壊などとは言えませんが、少なくとも、「老い」プラス「病」で崩壊していく人の姿の記録は見たくない。

いや、緩和ケアの最後の方ってこうなるんだ、とか、それでもこうやって過ごせるんだ、という怖いもの見たさの「参考になる」って気持ちは私にもありますから、久保田ブログは貴重ですが、それでも、すごく暗くなってしまうニュースでした。

次回から、心身の関係についての古来からの考え方の変化について少しずつまとめながら、自分の心身観を探っていこうと思います。

えいりあんさん、ありがとうございました。


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